paradigmaのブログ

極私的雑記帳または思考の中間貯蔵施設

Knowing who I am

僕はなぜここに文章を書いてみようと思い至ったのか。それは多分、これを読んでもらいたいと思う人が現れたからだ。僕はいくつものパーソナリティを使い分けながら生きている。職場の同僚は職場での僕しか知らない。家族は、彼らがそうあって欲しいと願う姿を僕に投影して、それを僕だと信じ込もうとしている。趣味仲間Aはさらにもっと限定された僕の顔しか知らない。趣味仲間Bも、Bという共通の世界の住人としての僕しか知らない。だから、誰ひとりとして、統合された一個の人間としての僕を知る者はいないのだ。

Facebook で友達を検索するが如く僕に関するキーワードを書き上げていけば、僕という人間は程なくして特定されてしまうだろう。けれどそれでは困るのだ。何故ならば僕はそこまで単純な世界を生きていないから。統合された僕を知った瞬間、多くの友人や親しい人達は彼らが知らなかった僕の違う姿〜その多くは意外であり、彼らの期待に背くものであるだろう〜に気付き、落胆するかもしれない。

そんなリスクを冒すことにはなるのだけど、僕はここに思いを吐き出すことを決めたのだ。僕の背中を押してくれたあなたのために。そして見栄っ張りで偽善的で、でも善きものの存在を信じたい僕という人間の本性を、肉体から遊離した魂の如く、高い地点から観察してみるために。